ВЕСТНИК КазНПУ им. Абая, серия «Педагогические науки», №1(57), 2018
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ンサリンは啓蒙は富に勝ると「キルギス読本」で教えていた。彼の考えでは「財産を失っても
知識が支えになる」のである。
こうしてこの啓蒙家は人の実際の生活における科学と知識の重要性を高め、同時代の人々
に向けて科学の勉強が生活に欠かせないことを理解させていった。啓蒙思想はその当時も存
在しており、間違いなく有用なものであった。しかし実生活でそれを実現しようとする試み
では大きな困難を味わい、越えがたい障害に出くわすこともあった。部落での学校網拡張の
難しさは、政府に対する否定的態度や住民の保守的姿勢だけでは説明できない。学校組織の
根本的な教材不足、教員の能力やカザフの遊牧村落で働きたいという希望者の不足などであ
る。
アルトゥンサリンの進化論的信念の帰結として、絶え間ない国民の啓蒙だけが唯一の変化
の道であり、誇張なしで当時のカザフスタン社会を近代化する方法であると彼は考えていた
。そこには知識の拡大、教育の拡充だけでなく、大衆の暮らし自体の変化、精神とステレオ
タイプ的考え方や道徳観の変化が含まれる。
アルトゥンサリンは気楽な夢想家ではなく他の誰よりも深く考え、カザフ社会の時代遅れ
になった困難と矛盾、自分たちの民族の短所や欠点を理解していた。しかし彼は新しい価値
観や生活様式を法令で植えつられるとは思わなかった。過去の族長的伝統は根づよく、それ
を一気に変えてしまうことはできない。そのためアルトゥンサリンの考えでは、カザフ民族
の歴史的進歩はロシア文化へのコミットとしてあらわれ、長期的なプロセスになる。[15]
4.おわりに
このようにして啓蒙主義者の進化論的視点の二つ目の結論として言えるのは、彼がそれぞ
れの国や民族の成長、文明、文化のレベルの不均衡を把握していたことである。カザフ社会
の後進性については今は避けられないものだとしても昔からのものでも永遠のものでもない
ととらえていた。
アルトゥンサリンの目に映る歴史観は彼が社会システムの変化を予感していたことにあら
われている。システムというのはここではカザフ国民のことであるが、その変革は政府機関
主導の必要不可欠な働きかけのもとで可能であるという見方である。広い意味では「政府さ
まざま」と理解されうるものであり、ただ単に国家的・政治的に多様な形態をとっているだ
けなのではない。ここではまさに個々人の創造性を信頼しているアルトゥンサリンの姿を見
ることができる。その本質は歴史の場面にあらわれる唯一の参加者のことである。
<参照文献>
1 Ахметов Т.Ә., Оспанов С.О. Ыбырай Алтынсаринмұрасы: библиографиялық кӛрсеткіш – Қостанай: ҚМПИ,
2016. – 237 с.
2. Ауэзов М.Традиции русского реализма и казахская дореволюционная литература. – Дружба народов, 1949, № 2.
– С. 123– 139.
3 Сулейменов Б.С. Жизнь и деятельность Ибрагима Алтынсарина (1841 –1889). – В кн.: Алтынсарин И., Собр.
соч., т. – Алма-Ата, 1975. – С. 7–48.
4 Тажибаев Т. Педагогическая мысль в Казахстане во второй половине XIX века. – Алма-Ата, 1965. – С. 93–105.
5 Дербисалин А.К. О литературном наследии Ибрая Алтынсарина (пер. с каз. Е. Лизуновой). – Алма-Ата,
Казгосиздат, 1957. – 119 с.
6 Джумагулов К.Значение художественных переводов И.Алтынсарина. – Ученые записки Караганд. пед. ин-та,
1962, т. 3. Вып. 1. –
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